こんにちは、こんばんは!週末キャリアカウンセラーのあいこです。
先日つぶやいたこちらのツイートに沢山の反応をいただいています。
https://twitter.com/aikoaiko416/status/1583728251507445762?t=mhGrowOLJyaHsvtlwTqC_g&s=19
「なるほど~~!」「へえ~~~!」と、自分にとっては新鮮なリプライを沢山いただいて、めちゃくちゃ嬉しいです。
このツイートをした背景ときっかけ、そして皆さんのリプライを見て思うことなどを書いていきます。今回リプライしたよ、という方は、是非読んで頂けると嬉しいです!
直接のきっかけと、きっかけの種たち
今回のツイートは、直接のきっかけと、小さなアイデアのようなきっかけの種たちが起点になっています。
直接のきっかけは、「あれ?」という疑問
ふと、何気ない考えが浮かんで、ごく自然に「あ、これツイートしよう」となることが私は日常的にあります。
それが頻繁に浮かんでくることもあれば、数週間何も出てこず、忘れたころに突然浮かんでくることもあります。
なので、頻度は読めないのですが、”何か考えが浮かぶ”ことと、”ツイートする”ことには自分の中で自分なりのボーダーラインがありました。
私の場合はキャリアカウンセラーとしてのTwitterアカウントなので、交流のあるフォロワーさんはキャリア支援界隈の方が多いです。そのため、「これはツイートしよう」と思う考えは、キャリアやカウンセリングに関することが多いです。
一方、キャリアやカウンセリングに関することではなく、個人的な悩みや行き場のないモヤモヤが溢れる時には、ツイートではなくLINEで本当に親しい友人に連絡することが多いです。
このように、こんな考えはTwitterで多数に、こんな思いはLINEで特定の人に、といった使い分けをしているわけなのですが、
ある日、いつものように「これはツイートしよう」と思う考えが浮かび、Twitterでその考えを打ち始めとき、ふいに疑問がわきました。
自分は当たり前にTwitterとかLINEとか使い分けてるけど、そもそもこういうツールがなかった時って、ふと浮かんだ考えとか思いのことをどうしてたんだろう・・??と。
この疑問が、今回のツイートの直接のきっかけでした。
2つのきっかけの種たち
直接の疑問が浮かぶ前にも、この疑問を意識するに至ったきっかけが2つありました。
①3歳児の「チャンネル登録してくる」発言
女優の仲里依紗さんの甥っ子が、先日彼女のYoutubeチャンネルに登場していました。
その際に、仲里依紗さんの膝に座っていた3歳の甥っ子が、元気よく膝を降り、画面から走り去っていきます。
「どこ行くの~」と大人たちに声をかけられた時、とても元気よく3歳の甥っ子が
「チャンネル登録してくる~~!!」と言うのです(笑)
その動画によると、仲さんの甥っ子は3歳で、おしゃべりもまだぺらぺらとまでは言えない、かなり話せるようになり始めた、くらいのレベルだそうです。
そんな子供が、動画に写っている時にもちゃんとYoutubeの撮影と認識していて、チャンネル登録の意味を理解した上で口にだす様子を見て、これが令和生まれかあ~と衝撃を受けました(笑)
その時に、こういう環境で育って、3歳でこういう言葉を話す子が大きくなっていく過程で抱く感性や考えは、きっと90年代で生まれ、Youtubeがまだ主流じゃなかった時に幼少期を過ごした私が持っている感性や考えとは、どこかで違いがあるんだろうなあ、と強く感じました。
それが1つ目のきっかけです。
②Youtubeの失恋ソングのコメント欄
もう一つのきっかけも、Youtube関連です。
先日Youtubeで数年前に中高生や大学生の間で流行っていた失恋ソングを聴いていました。
そして何気なく動画のコメント欄を見てみたところ、ろくでもない恋愛をしたという経験談が山のようにありました(笑)
ろくでもない人のことを好きになって傷ついたエピソードが短く書かれていて、そのコメントに何百いいねがつき、更にコメント欄には自分も似た経験をした、、というコメントが何十件も連なっていました。
明確に年齢はわかりませんが、語調から察するにそのコメントやリプライの投稿者は高校生や大学生と思われました。
私が思春期の頃はmixiがすでにありましたが、あまりハッピーではない恋愛話など、皆に共有する話ではないな・・という内容の場合、話せる相手は本当に親しい友人のみというのが私の周りでは一般的でした。
そういう閉じられた場でのみ共有される恋愛話は、友人の立場からすると応援したくなる内容ではないことも多く(笑)、そんな人やめときなよ!と誰かが怒ったりすることもしばしば。相談した方は「こんなに見る目がないのは自分だけだ・・・」と更に落ち込んだりすることがよくあった気がします。
それが、現在はYoutubeのコメント欄という、匿名で書き込めて不特定多数が見れる場があることによって、「自分だけだ・・・」という感覚は多数の共感コメントをもらうことで新しい感情に書き換えられるんだろうな、と新鮮さを覚えました。
他人から共感コメントをもらっても、その人の深い悲しみや孤独感は消えないと思うのですが、
コメントをもらう術がない中で”ひとりぼっち感”を深めながら抱く感情や想いと、多数の共感コメントをもらった上で、それでもなお消えない孤独感や一層深まっていく暗い感情や想いは、きっと違うものなのだろうなと思いました。
それが2つ目のきっかけの種でした。
これらの2つのきっかけの種から、
私が生まれ育ったなかで身に付けた感性や考えは、令和に生まれ育っている人が身に付ける感性や考えと、大きく捉えると重なるけれども、細かく見て行くときっと何かが違うんだろうなと意識することが増えました。
その結果、じゃあ私と若い世代だけでなく、私と上の世代の間にも、そういう時代背景の違いに関連する感性や考え方の違いがあったのでは、という疑問に繋がっていきました。
反応をいただいて思ったこと
そんなこんなで冒頭のツイートに至るのですが、沢山の反応をいただいて、(今もいただき続けていてめちゃくちゃ嬉しいです!!)色んなコメントを拝見するなかで一番驚いたことは、
そもそもmixiなどの即時性のあるツールが生まれるまでは、「"いま"共有したい!」という欲求がなかった、ということです。
ラジオ・新聞・雑誌への投稿や、手紙・文通・FAX、電話、直接会いに行くなどなど、、いろんな手段はあれども、「次会ったらこのことを話そう」と自分のなかで温める時間があることが多く、思いが浮かんだ瞬間と外に発する瞬間には時差があることが自然だった、という主旨のコメントが私にとってはとても印象的でした。
こういった意見をたくさんいただいて、いかに自分が自分の常識を前提で物事を考えていたかを思い知らされて、目が覚めるようでした・・。。
思いが浮かぶタイミングと、"いま"共有したいという欲求は結び付いている、という前提で考えてしまっていたんだなと痛感しました。
元々は「"いま"共有したい!」の欲求はなかったけれど、mixiやtwitterができたことで"いま"という即時性に重点が置かれた欲求が育っていった、という気付きから、時代の変化と感覚の変化は密に関係しあっているんだな、と当たり前のことですが改めて実感しました。
ただでさえわかりえない他人同士が、異なる時代背景や感性を超えて関わり合うこと
今回の皆さんからの反応をいただいて一番強く思ったことは、
他人のことはわからなくて当然、でも、その中でわかろうという想いを捨てずに関わり合うことが大事なんだなということです。
考えや思いを温める時間が長い方が良いとか、すぐに発信するのが悪いとか、
共有する場がなくて孤独だったとか、いつでも共有する場があるから良いよねとか、
そういう良し悪しを決める話がしたいのではなく、
こんな違いがあるよね、そりゃあ感覚が違うわけだ!を踏まえたうえで、なお他人をわかろうとすることを諦めない、が大事なんだと強く感じました。
多くの時間を過ごした時代が違えば、当然それに伴って感性や考え方に違いが出てくると思います。
その時に、「よくわからん」で終わらせずに、
わかりきることはできない中で、何でそう考えたんだろう、どうしてそういう考えを持つようになったんだろう、と思いを巡らすことをやめずに人と関わるに尽きるなあとしみじみ思いました。
私は、平日は会社員・週末はキャリアカウンセラーという二足の草鞋を履いているのですが、
どちらの顔においても、しっかりと胸に留めておきたい大事な考えに気付かせてもらえて本当に良かった、と感じています。
ここまで読んでくださった方、
今回のツイートに反応して下さった方、
ありがとうございました!!
週末キャリアカウンセラーのあいこでした。